History of Tsudoh は「Tsudohが出来るまで」の続編となります。

2016年6月の中旬くらいには工事も終わりだいたい完成していたので、とりあえずオープン日を2016年7月1日と決めました。
大々的にオープン!というよりひっそりとソフトオープンした感じです。
初日は友達や知り合いが来てくれました。

最初は簡単なおつまみと酒、カラオケ、ピアノがあったくらいです。
コンセプトも曖昧なままでした。
居酒屋でもないしバーでもない、スナックでもない。

だいたい店に立つ人間が飲食店で一度も働いたことがないというのが普通じゃないです(笑

初日は近くの友達、施工してくれた大工さんなど関係者だけでした。

そもそも、別に飲食業がやりたかったのではありません。
当初、カラオケや音楽を聴きながら少し酒でも飲める場所を作りたい、というイメージでした。
ただ、飲食物をお金を取って提供するには飲食業の営業許可が必要だったというだけです。

お酒の数も凄く少なかったです。

花輪がいっぱいみたいなのはイヤでした。
すぐに廃業する店はオープン時の花輪が多い(笑

一見、無謀な挑戦のようですがリスクは可能な限り排除していました。
飲食業は未経験ですが経営者歴としては当時で14年目でした。

例えば20年、飲食業界で修行して独立したとします。
その場合、経営者の経験はゼロでスタートするわけです。

なので飲食業未経験というのはそんなに気にはしていませんでした。

最初は物も少なくてアッサリしています。

飲食業の閉店、廃業、倒産についてかなり研究しました。
恐らく経営が厳しくなる原因は売り上げ減少からくる家賃、返済、リース料、人件費の負担増ではないかと考えられます。
あとは莫大な初期投資が起因している場合もあると思います。

それを踏まえて計画をしました。

・自己所有建物の遊休地の活用なので家賃なし
・自己資金のみなので返済なし
・リース物件もなし
・人件費なし

そして最小の初期投資で店を作る。

本業はこれまで通り行っているので別の収入源を確保していました。
オーナーの真美もフルタイムで仕事をしています。
私は会社の代表ですのでどれだけ働いても規程の役員報酬のみです。

酒の数は20種類くらいしかありませんでした。
音響機器はカラオケDAMとDVDくらいでした。

定休日以外はよほどの事情がない限り毎日オープンしました。

会社としては経営の多角化を目指していた頃で何年後かに収益の出るビジネスに育てられれば良いと考えていました。

ただ、この時はまったくその見通しはありませんでした。

続く、、、
NEXT History of Tsudoh Vol.2
https://takky.jp/?p=1179

Tsudohが出来るまで編
https://takky.jp/?cat=28